和解
気が向いたときに気が向いただけ、
とあるパチンコ店関連の話を書いていきます。
そんなことができるのも、とある裁判の和解が成立したからです。
幸いなことに(私自身の真の狙いはそこだったりしたのですが)、
知り得たことを公開してはいけないとは、和解にはいっさい書かれていません。
裁判所で争うくらいで、いろんなことを公開されてもOKって意味だと勝手に解釈しています。
先方からの提訴で「争い」になったのですから。
ネタの宝庫みたいなところだったので、書くことには困りません。
好きで関わったわけではなく、家族の問題で仕方なくですが・・・・、
なんだかんだで20数年関わることになってしまいましたので。
といっても時効になっている昔話も多いから、誰も困らないかも、です。
当時そんな汚い裏事情があったのか、やっぱり、と思う人も多いかもしれない。
手元に確証が残っていること、残っていないこと、さまざまあるけど、
最初は文書としての証拠がはっきり残っている昔話からします。
まず背景を簡単に説明します。
昭和の終わりから平成の初め頃、大型の都立公園のそばに大規模団地ができました。
その団地の中央部の商店エリアにパチンコ店開店の計画があったのですが、
平成3年にパチンコ店反対の住民運動がけっこうな勢いで始まりました。
さんざん住民対策をした後に行った住民アンケート(後日に詳細)ですら、
パチンコ店開店絶対反対がほぼ4割、
パチンコ店賛成が1割、
どっちでもいいが5割でした。
反対が過半数いっていないじゃないか! と思われるかもしれません。
それ以前に行われた公正中立なアンケートでは、絶対反対、反対が8割だったんです。
反対運動の分断工作と反対の方が答えにくい方法を考えて行ったアンケートで、
数年かけて、やっと反対が過半数を割れるところまでもっていったんですよ。
どうして分かるんだって?
反対運動に対する対策は、一昨年他界した父がやっていたんです。
で、アンケート方法の企画やらは私が手伝っていました。
当時は、パチンコ反対の意思表示「緑の旗」をベランダにかかげる家が団地中にありました。
住民の大半が反対の中ではパチンコ店は開店できるべくもなく、
パチンコの開店は平成7年になるまで、遅れに遅れます。
ここからが本題ですが、これから書くことを私が知ったのは、ほんの1~2年前です。
裁判ざたにならなければ、これから書くことを、あの世まで持って行くつもりだったようです。
結論を先に書いてしまうと、
そのパチンコ店は、風営法の許可申請の際、虚偽の書類を添付したのです。
開店に必要とされた書類の一部は、架空に作り上げた虚構でした。
特殊景品の交換所をどこで行うかを記した書類が必要だったようなのですが、
(そのコピーは手元にあります)・・・、およそ実現不可能な内容です。
当時、反対運動がものすごい盛り上がりだったので、
近隣の物件を景品交換所として借りることはほぼ不可能でした。
それをどうするかが開店のための、最後で最大のネックになっていました。
で、どうしたかというと、団地の一室で景品交換所を行う書類を作り上げたんです。
団地内の公営住宅で部屋を借りている人間から部屋を又借りし、
そこを改造して、ドアに来店客とやりとりするスペースを作り、景品交換所にする。
そもそも住居として借りているところを営業に使うのは賃貸借契約の違反だし、
勝手にドア等改造するのなんて論外どころか、いくつもの法令違反にもなる内容です。
もっともらしく又借りの契約書や図面も作ってありましたが、
そんな営業は実際に出来るはずもありません。
最初からできるはずのない虚構と知りながらですから、虚偽申請以外のなにものでもないですよね?
でも何故かそれでパスしちゃった。
申請書類の中に「景品交換所の準備はありますよ」・・・
って体裁さえ整っていればよかったのかもしれません。
出来るはずのない計画で許可取得したその後は・・・。
実際の開店時には、パチンコ店から遠い駐車場の一角を借り、
そこにプレハブの景品交換所を設置して営業を開始しました。
googleマップで距離を計ってみたところ、徒歩で11分、距離800数十メートルです。
余談ですが、パチンコ雑誌に「日本一遠い景品交換所」と記事にされたくらい遠いです。
次は業界的に大問題になってしまう可能性のある営業を頻繁に行っていたことか、
景品交換所が違法建築であることを書こうかなと思っています。
やっぱり汚い業界だなと思うか方も多いかもしれません。
長年関わり続けた私もそう思い続けています。
業界の体質なのか、企業体質なのか、その両方なのかわかりませんが、
コンプライアンス意識はきわめて希薄だとは思います。
どんなご意見、ご批判もお受けいたしますが、それに関して個別返答はいたしません。